二本松提灯祭り 太鼓台の組立て 根崎町の場合                 平成15年10月3日6時収録
 二本松提灯祭りの太鼓台は、祭礼の時のみ組立てられる。 それ以外の期間は、7つある町内はそれぞれに太鼓台専
 用の倉庫を持っており、大切に保管されている。根崎町の場合、毎年、同町内善性寺駐車場において、祭りの前日であ
 る10月3日に太鼓台の組立てを早朝から行っている。

 この日から休みを取る者も多いが、勤めをする人のことも考えて早朝に行っている。解体も同様。

 太鼓台の組立ては長年の経験がモノをいう。 根崎町の場合、町内の長老が立ち会って組立てが行われる。
 
■太鼓台倉庫前集合>部品運び出し

 根崎町の若連、町内祭典関係者が薄暗い中、太鼓台を保管してい
 る倉庫前に集まりだした。

 すぐさま、太鼓台の躯体、部品、車輪などが運びだされる。

 
■根崎町の車輪

 平成5年、塩川町神田軽車両店において新調された。
 7つ割り、21本の矢の源氏車である。
 車輪の直径は960ミリ、全体が朱色より茶色に近いベンガラ色の      漆塗りである。胴(太鼓)の部分は欅、矢(スポーク)の部分は樫、      櫛型の部分は楢材を使用している。

 平成16年まで、本町を除いて6町の車輪はすべて、この神田軽車     両店で製作されたものを使用していたが、老朽化した本町太鼓台      の車輪が16年祭礼中に破損し、補充をこの店に依頼したことにより、   全ての町内の車輪がお世話になったことになる。
 同店の店主、神田香氏は、今では関東以北の屋台の車輪を数多く     手がけているという。

 (車輪は、以前は亀谷町佐野鉄工所で制作されていた)
■車輪と車軸
 車軸は、木に鉄の角棒を埋め込み、両端部を円形に削って
 芯をだして、車輪の幅の位置にピン穴が明けられている。

 二本松の太鼓台はほとんどがこの形式である。
 唯一、郭内太鼓台だけは、車軸の鉄がむき出しの状態で使われ
 ている。
■屋根、躯体、部品が運びだされる

 屋根は四つ割りである。
 木箱に部材ごとに収納されている。
 き出しで保存されていたモノも多かったが、ほとんどの町内が遠征
 (太鼓台の出演依頼)によって、収納箱を整備したようだ。
■太鼓台の部材の呼び名、方向

 二本松の太鼓台の部材は、太鼓台に向かって右、左を決めて
 いる。また、方向を間違わないように、右前、右中、右後などを
 墨書きか、根崎町(写真のように)露出しない部分に彫って見
 分けをしている。

 又
 必要のない部分には塗装がされていない。
 写真で分かるように、接合面や、通常は見えない部分に塗装は無い。
 
 組立ての際に、これだけを注目していても、どちらが上になるか、見えない方向に入る部分であるかなどが判断できる。
■箱棟

 屋根の一番上に取り付けられる部材。
 根崎町の場合は写真のように、平鉄を折り曲げた、しゃれた格好を
 している取っ手が付いていた。。この箱棟に箱棟欄間が飾られる。

 今年(平成17年秋)郭内太鼓台(昭和37年新調)の組立てを見学
 したが、昔のもの(例えば、根崎町とか、本町の各部材は相当に軽
 く作られている印象を受けた)に対し、部材が太く重たい感じがした。

 昔の曳き回しは、当然砂利道であった。従って、現在のように、夜間
 の提灯や提灯枠を付けた状態でも、激しく回転させるような曳き回し
 は行えなかったと思われる。太鼓台は軽くすること重視いていたと
 思われる。
■車軸に車輪の装着

車軸に車輪が取り付けられる。
グリス(本町では、床屋さん専用のヘアチックを使用しているという:津田浩氏談)を芯棒(オス)と釜金(かまがね・メス)の両方にたっぷり塗ってから通される。

車輪を通した後、鉄の芯棒の端部にワッシャーが入り、ピンが上部から差し込まれる。
この時、芯棒が逆さになるとピンが落ちて抜けることがあるので方向は大切だ。

ピンが入れば、町紋の入った車輪カバー(ホイルキャップ)
が取り付けられる。
■土台と車軸の固定

土台を別に組み、車軸の上に載せる。
両部材の接合は各町内ともに鉄のボルトで締めこまれる。
上から差込み、下からダブルナットで締められる。
■車止め (根崎町の優れもの・・・と拝見した)

車輪を止めるのに、他の町内は短い木端を使用しているところが殆どだが、組み立て用に写真のような長い棒を半分だけ
車輪のアタリを考えて切込みが入ったものを使用している。
これだと、組み立て中に動きやすい車輪を安定させることができると思った。
■柱立て

柱が立てられる。材料は強靭な特性を持つ、通称ヤマナシノキ(オオウラジロノキ)を使用。
現在の二本松太鼓台の柱は6本柱である。昔は4本だった太鼓台もあったが、7町内ともに6本である。
一辺約75ミリの角材で、角を几帳面に装飾、この部分のみ朱、他は黒の漆の研ぎ出し塗りである。
■柱と高欄の取り付け

高欄(手摺り)は前面前、右、左のコの字型に取り付く。
柱の根元部分にほぞがあり、組み合わせて土台に取り付けられる。

根崎町の柱は欠き通し(土台を貫通)で、貫通した部分に込み栓(楔)が入れられ、引き抜けの防止としている。


柱と高欄を同時にホゾに入れないと入らない。
呼吸を合わせ「セーノ」で差し込まれる。
柱がきっちり土台に入ってしまえば、後は高欄、柱などが倒れたりする心配はない。
■鴨居の取り付け

欄間を受ける鴨居が柱上部のホゾに差し込まれる。
前、左前、左後、右前、右後、後の6本。

この時から欄間が入り、桁と梁が納まるまでは注意が必要な作業に入る。

中心の方に押さえておかないと鴨居や欄間が落ちる。
本町や若宮町では紐を掛けて行っているようだ。
■万博出場記念

昭和45年(1970)には、大阪万博にそろって7台の太鼓台が
出演した。広い会場で見栄えがしなかったと参加した当時の先輩方が語るが、良かったことは、この根崎町のように搬送中の破損を防ぐために収納箱を新調したり整備した町内が殆どだったと聞いている。

高度成長期の真っ只中、国全体に余裕があった。
文化財の保存にはお金がかかる。
二本松提灯祭りも例外ではない。景気の良い時に、太鼓台の修理や大改修などが重ねられて今日の姿があるのだ。
■根崎町の太鼓台幕収納箱

桐箱に入れられている。
この箱を新調したのは、唯一の海外遠征であるハワイ行きの時に整備されたとか。

はたして、当時の首長などが言った「二本松をPR]するは、ハワイ行きで効果があったか知るよしもない。
この時、良かったこともあった。
それは、太鼓台の重量が分かったことだ。
重い重いと言われていた太鼓台だったが、殆ど1トンも無かったと聞いている。
■収納箱の内部、構造

この部材のように、中空に浮くように設計されてしまわれている。木部にホゾ穴が三箇所、端部にひさし吊り用の金具が付いていることからみると、左または右の桁と思われる。

松岡町の場合、祭典終了後には、このような木箱に樟脳を入れてからしまっている。
■欄間が載る/欄間の重要度

前欄間の取り付け。
鴨居の上に溝があり、その上に欄間が入る。
柱にも内側にそれぞれ溝が切ってあるので、欄間はそこに納まる。上部から梁が掛けられれば、これで欄間は四方から押さえられることになり、もう落ちることはない。

太鼓台がいかに激しい動きをしても、適度にきしむ。
適度な隙間がある。また、それぞれの部材がもつ弾力も外部からの力にある程度耐えているようだ。

欄間は単なる飾りではない。柱下部に取り付く高欄(手摺)と
欄間、二種類の四角の構造物があるおかげで、横からの力に応力ができるのだ。いわゆる筋交いの役目をしている。
昔の人の知恵である。
■桁欄間飾りも載る
同様に側面の桁方向の欄間も、片側2枚ずつ上がる。
鴨居の上に上げられるが、同じように桁で上から押さえられて安定するので、この桁が上がるまでは気が抜けない。

大分前、祭り遠征で行ったとき、押さえてなくて頭に落とした人があった。その人には悪いが、当たってくれたお陰で欄間が壊れずに済んだ。(失礼)
■束の上に棟木が上がる

側面からの写真で分かるように、二本松の太鼓台は6本柱である。
底抜け屋台で、このような形になったのは、明治末期から大正期に
かけて、どの町内も3世代目を迎えている。

二本松地方の太鼓台は、各町が競い合うことによって、徐々に現在の
形のように整備されてきたのだ。仏壇職人、家具職人の多い背景に
後押しされながら、近郷近在の中心的祭りとして存在し、また、この
ような屋台を製造するメッカでもあったようだ。
■根崎町の豪華な蛙又

飾り物の中心的蛙又、鬼板などの収納箱が開けられる。
昔の彫り物は、本当に手の込んだものが多い。
その最高峰とも言うべき彫り物は根崎町だろう。

こういう彫り物を依頼できる背景には、当然のように豊かな町内の
経済があったはずである。
箱を開ける時、先人の祭りに対する熱い思いが感じられる瞬間だ。
■あと少しだから決めてしまおう

ほぼ、躯体の構造物の組立ては終了。
飾り物が付くほか、屋根、庇が付けば終了となる。
■落とすなよ! 金箔触るなよ! 取付けの順番

太鼓台の全ての部材は、力がどこに掛かるか。
どうすれば軽くなるか。
どうしたら美しく見えるか。
部材と部材の取り合いをどうするか。
全てに、職人たちの工夫の跡が残されている。


従って、取り付けの順番が違えば入らない。
蛙又は大屋根が上がる前に取り付けられる。
また、入っても、きつかったり、他が合わなくなったりする。
人が下から見上げて、綺麗に見える大きさに作ってあるのだ。
■後

こういう状態で見ると彫り物がよくわかる。
大屋根が上がった状態では背景が暗いので良くわからないが、透かし彫りの状態や、彫刻の細部まで、すばらしい仕事が見える。

蛙又の鳳凰と麒麟が呼応している豪快な絵柄だ。
■前

前の蛙又は、海上から湧き上がる渦巻く激しい雲と、その中に素晴らしい竜が描かれている。雲竜という訳だ。
■大屋根が上がる

根崎町の屋根は4つ割りだ。
滑り止めが斜めに付けられて洒落ている。
■大屋根が上がって

同じ彫刻も、屋根が上がると違って見える。
■箱棟が上がる

この状態で太鼓台をみると、間が抜けたように見える。
また、太鼓台がそんなに大きくないことも分かる。


■箱棟欄間は取り外し自由(根崎町)

松岡町、本町などは箱棟の上からボルトを締めてしまうと、箱棟の欄間は取り外せなくなる。提灯枠で見えなくなる夜の曳き回しの場合、箱棟欄間は字に置いたまま曳き回しが行われる。
その点、松岡、本町などは飾りを傷つけないようにする為に、箱棟の覆いを取り付けて夜の装備としている。
■破風が上がる 後

破風は部材の中で、芯棒の入った土台の次に重い。
頭が重い構造になっているので、運ぶときは頭が下に
なる方が運びやすい。
取り付ける際、裏側が前に来るようにして太鼓台に近づき
上げる直前に頭をひっくりかえす。


金箔は触らないのが一番である。
雨などで濡れた場合は特に剥がれやすい。
二本松提灯祭りの場合、提灯枠が付いて、太鼓台の
屋根への昇り降りが、後ろや前からだと、この破風の
部分の金箔が剥がれやすい。着物や体が触れるから
である。
 
従って、定期的に金箔の張替えを行っている。
■前破風

竜のからみついた豪華な破風だ。
他町の破風には、瓦棒という短い棒が10本程度付いているが、根崎町だけはこの竜が絡まっている為に付いていない。

蛙又の竜と、破風の竜が向かい合う格好なのだろうか。
とするなら、昇り竜と下り竜ということなのだろう。
■金箔がまぶしい鬼板

鬼の天辺には町紋が飾られている。
ご存知、宮下御殿火災の際に、町民が雪のつぶてを投げて消火に
協力したことの褒美として、この由緒正しい「雪の輪」紋を使うことを
許されたという。

■鬼板が上がる 前
■後 

■太鼓台の接合部分に使われる割ピン

通常、割りピンと言えば、女性のピン止めに似たような形をしている。接合部分に適度なガタをもたせ、金具と金具の間に差し込んで、片方の一端を折り曲げて抜け防止にしている。
しかし、松岡には特殊な形の通称「割りピン」が存在する。
手の込んだ、私は「折りピン」と言いたいのだが、接合部分の金具に上から差し込んでいる。この小さな優れもので、各部分の部材が抜け落ちることはない。(左下図参照)


全ては落下しない工夫は重力に従っている。
■割りピン  「松岡の特殊な割りピン」(全長40ミリ程度)

■最後に庇(ひさし)が上がる

これで太鼓台らしくなってきた。
夜間の装備では、この庇の上と、破風に提灯枠が掛かるように載せられる。
■隅木(通称・弓)が付く

柱のホゾに一端が刺さるように弓が取り付けられる。
桁から下がる金具に、この弓を貫通するように金物が付き
二辺の庇を支える重要な部材である。

根崎町は使用していないが、この弓の部分に隅提灯が下げられる。

■最後にシートがかけられ終了

露よけのシートが太鼓台をすっかり覆うように掛けられて、本番前の丁寧な組立ては完了となる。
後は、明日を待つばかりである。
 完成